エッセイ ≪あなたの本質≫をみつける -内なる羅針盤-

Compass Pendant

      ≪あなたの本質≫-内なる羅針盤-

 

1.はじめに

 

プロセスワークには多様なワークがありますが、

≪あなたの本質≫をみつけるワークがあることをお聞きになったことはあるでしょうか?

「わたしの本質を見つける?自分が誰かってことを見つけるってこと?」


はい、そうです。

「自分探しってやつ?毎日くたくたで、そんな余裕ないよ。

 そんなことをして何になるっていうの?」

もしこういうときがあるなら、≪あなたの本質≫を見つけるワークと、

その結晶となる≪あなたの本質の一枚絵≫を活用してもらいたいと思っています。

・頑張るほど、空回りをしているなと感じるとき

・進みたい道を見つけられなかったり、今いる道がこれでいいのかと迷うとき

・いろいろと自分を知ろうとしてきたけれど、なんとなく自分に自信がもてないなと思うとき

こういうときにどうしたらいいかを教えてくれる羅針盤を、自分の中に見つけていくのです。

≪あなたの本質≫を見つけるワークは、最も古い記憶や繰り返し見る夢を手がかりにします。

「え?一番昔の記憶?そんなのあったかなぁ。繰り返し見る夢ねぇ。

 それって本当に役に立つの?」

ではまず、この疑問に向きあってみましょう。

 

 

 

2.≪あなたの本質≫を知ることは、行き先を示す内なる羅針盤になる

 

 

  • 「あなたは、だれ?」にどう答える?



「あなたは、だれ?」

 

 自我が目覚めたとき、進路を決めるとき、思わぬアクシデントに見舞われたとき、

この問いにぶつかることがあったのではないでしょうか。

私が自分を知るための道のりの出発点を思い出すとき、

小学生の頃に読んだ「ソフィーの世界」という本の初めの一文を思い出します。

ある日突然、ソフィーが学校から家に帰ってポストをのぞくと、

この問いかけの手紙が入った一枚の封筒が入っていたのです。

 

私はこの女の子になりきったかのように本の世界に入り込み、

何と答えてよいかまったくわからなかったこの問いかけに、心が浮き立っていたことが思い出されます。

そして“哲学という入口があるらしい”ということも。

夏休みの午後、数ページめくっては眠りについてしまうという不毛さを感じる過ごし方となりましたが、

自分のことなのに自分がだれか答えられず、

世界には知らないことがたくさんあるという気づきが、突如目の前に現れた夏でもありました。
 

それからしばらくして私は心理学に興味をもち、カウンセリングを学ぶようになり、

実際にカウンセリングを受ける機会を得て、自分が何者かを見つめるようになりました。

自分の考え方の癖、人は変えられないけれど自分は変えられること、

自分の中にある見方が変われば世界も変わって見えること、

そんな気づきを重ねてきました。

 
自己啓発書などの視点から見れば、これまで経験してきた中でうまくいったこと、

何がどうしても苦手で、何をすることに情熱を感じるのか、

影響を受けた人や作品を思い出すところから、自分を知ることができるようです。

実際に感動した記事の切抜きを集めたり、心がわきたつ映画を見たりしては、

自分が何に憧れているのか、どうなりたいのかを描くこともできました。

そうした体験を重ねるにつれて、

自分は何をすれば人の役に立てるのかもおぼろげに見えてきました。
 


 このときは、「これが<自分>かもしれない」といえる何かが偶然見つかったから、純粋に喜びを感じられたのかもしれません。

それらが憧れる対象であったから、いずれ自分のものとして生きるために

飛びこむ過程が待っていることに気づかなかったのかもしれません。
 


 その後、頑張るほどに空回りするように感じる時期が訪れ、

かといって憧れていた対象になりきることもできず、

やりがいを感じていたことにも、そのままでは太刀打ちできない状況になっていきました。

二十代後半特有のことなのでしょうか、

それまで快調に、意識せずともなめらかな動きでかみあっていた歯車が、

次第に歯車の存在を強く意識して手で力いっぱい回そうとしても、

さびついたような音を出しながらようやく回るか回らないかという状況になっていったのです。

 くたくたになるまで手で歯車を回しながら、このときまた

「あなたは、だれ?」と問うことが多くなりました。

 しかしこのときは、<自分のかけら>を集めたいのではなくて、

これまで見つけてきたものをひとつにまとめる何かを必要としていました。

「私は○○が好きで、△△をやってきて、××をやりたいと思っています」と、

○△×それぞれに<自分>を示すいろいろなものをあてはめようとしていたのが、さびついた内側からの音になっていったような気がしていました。

あるいは、<自分>を自然になめらかに動かすにはどのようにしたらよいのかを知る必要がある時期に差し迫っていたのかもしれません。

 

  • <あなた>をシンプルに表す



 そんなとき、≪本質の一枚絵≫を第一回開催のワークの後に手にしました。

哲学でもなく、カウンセリングでもなく、自己啓発でもなく、

子どもの頃の一番昔の記憶や繰り返し見る夢を通して、

自分が一体誰なのかを知る機会がおとずれたのです。

一番昔の記憶?繰り返し見る夢?

遠い記憶から、ふと心の中に顔を出したときに手ですくおうとしても、

次の瞬間には指の間からこぼれていく霧のようなものから、自分が本当にわかるのだろうか?

 

 ≪本質の一枚絵≫は、

あなたが持っているエネルギーの全体を、一枚の紙に表したものです。

これが<私>だと意識しているエネルギーも、そうでない部分も現れると思います。

<あなた>をシンプルに伝える術となり、

困ったときにどうしたらよいかを指し示す内なる羅針盤となります。

 内なる羅針盤は、こういうときの核となって動いているでしょう。

・好きなことや使命と感じるものを懸命に続けているとき

・人前に立って話し、聴く人の心と呼応しているとき

・<あなた>にあった職業や生活の仕方など、<あなた>らしいと感じる選択をしているとき

そういうとき、<あなた>の中に輝きを感じたり、輝いて見えると思います。

 

  •  ≪本質の一枚絵≫を人に伝えたいとき、≪あなたの深いところにある物語≫が生まれる

 

 

My Deepest Self ≪私の本質の一枚絵≫

 

そしてこれが、私の≪本質の一枚絵≫です。

真っ白な紙にワークの結晶となるイメージを描きました。

一番昔の記憶、繰り返し見る夢、人間関係で繰り返されるパターンを元にできあがりました。

 そしてこの≪本質の一枚絵≫を人に伝えようとするときに、

物語にする必要があるようです。

≪あなたの本質≫という内なる羅針盤は、あなたの中で完結するよりも

もっと大きな意味を持っていると思うのです。

 

 

≪私の深いところにある物語≫は、こうです。

 

 

人ごみの中から離れて目の前に潜るべき海を見つけ、

海の中で呼吸ができなくなりそうな恐怖と静寂と暗闇と孤独感への恐れを乗り越え、海に入ります。

そのまま泳ぐわけでも綱をつたって潜水するわけでもなく、

ただ力を抜いて抵抗せずに沈んでいきます(黒い矢印)。

 

 

沈み始めてしばらくすると、太陽の光が届かない暗闇に入り、静寂と孤独感に包まれていくので、そこであがいて地上へ戻りたくなります。

しかしあがけばあがくほど息苦しくなることも、

ぐっとこらえて抵抗せずにさらに沈んだ方が結果的には楽になることもわかっているので、そうすることを選びます(絵の円の線の部分を越える)。

集中力と体力と精神力を意外と使う「底抜け」を過ぎた後、

海の中は竜宮城のようにまばゆい光がさし始めます。

ここで静寂と暗闇の中で見聞きしてきたことの意味がわかり始め、

見つけたものを用いて何をつくっていけるだろうかと、アイディアがわき、胸がわくわくする段階になります。


沈むことの恐れはもうありません。

そして海底に足がつくまでさらに沈みます。(緑の矢印)。

そうして足が着いたのが、海底の砂地です。

ここではまさに探検気分です。

海の中にも関わらず呼吸もでき、浮力が働いているようで、

地上よりも軽い力で自由に動けます。

自分の意思で自由に動いていけ、あちこち動いているうちに

長い間忘れ去られていたような宝箱が目に入るのです(黄土色の点)。

その方向へ行き、宝箱を開け、宝物を手にした途端、

見えない大きな手に首根っこをつかまえられて、勢いよく海中を引き上げられ、

地上の大きな岩の上に立たされます。

人前に立ち、見てきたものを伝えたり、いろいろな予期せぬことが起こるのです(岩の上の人)。

そこにいる時間は、全体からすればわずかな時間ですが、

一番の挑戦で私にとって大舞台です。

そこで心がけることは、

どうすれば伝わるかを探すために周囲を見渡してアンテナを張ること、

予期せぬ出来事が来たときには、ぱっぱっと瞬発的に頑張ることです(岩の上の二人の人がジャンプしているところ)。

 ≪あなたの物語≫を書く作業は、

内なる羅針盤の動き方をよりていねいに気づくことでもあるようです。

 

 

3.≪あなたの本質≫を知ると、どう変わる?

 

 

 

 ≪あなたの本質≫は意識下のもっと深いところに働いていて、

仕事の適性、生活や活動の仕方などを指し示す内なる羅針盤で、

それがうまく動いているときには、喜びとなって現れるように思います。

 とはいえ、≪本質の一枚絵≫を初めて手にしたときの感覚は、

「あぁ、(いつも感じる)あれ?」という拍子抜けしたような感じがありました。

というのも、私は深く追求することが好きだと自覚していて、

友達の口からそれを伝えられることもありましたし、

窮地におちいったときの私の解決法で、こんなエピソードがあったからです。

それはこんなものです。

あるとき、初めて海外へ一人旅に出ました。

ところが初めての海外で、いろんな人種の人の顔に見慣れず、

街の店が何屋なのかもわからず、耳は言葉を聞き分けられず、

異次元の異世界に来たような感覚になってしまいました。

家から駅への道も覚えられず、もちろん一人で電車に乗ることも怖く困ったとき、

私はこう決めたのです。

とりあえず家を出て、道を確かめながら駅へ行こう。

その後はどうするかは、そこで決めよう、と。

そして限界だった駅で何をしたかというと、私は15分間、

誰かを待つふりをしてその場にじっと立ち、

それでもまだ落ち着かないので、さらに15分間立ち尽くしたのです。

これが功を奏したようで、後ろに駅があるのだからそのまま中心街へ行こうと

自然に体が動いたのです。

なぜこのとき、自然に体が動いていけたのかはわかりませんでした。

でもこのエピソードは≪本質の一枚絵≫を象徴しているように思い、

うまくいくときのやり方を示していると気づきました。

しかし≪本質の一枚絵≫を手にしたことで何が変わるのかは、

その後1年半かかって確かめてみることになりました。

 

  • 空回りは、≪あなたの本質≫を見失っているからではなく、小さなかけ違いが原因?

 

 

 時間が経つにつれてわかってきたのは、

≪本質≫にも段階があって、

空回りをしているときは≪あなたの本質≫を見失っているのではなくて、

≪本質≫の段階の順番が違っていたり、

取り組むポイントを外しているときのようだということです。

私の場合は、深める前に周りを探検しても何も見つからないことが多いし、

話をよく聴く前に自分が話し始めても空回りします。

深めるときには、力を抜いて沈んでいく必要があるので、

深めることを恐れて入り口でうろうろと立ち往生したり、

よそ見をして他の方向へ動き出すのはよくないようです。

深めることができなくなるような気をそらすものがないよう、

朝から多量の情報を取り込まないとか、

前日からの流れを受けて、次の道具の用意をしておく、

緑が見え、鳥の声が聞こえる空間で、窓に向かって過ごす時間を作るなど、

力を抜いて深めていける環境を整える工夫に力を注ぐ必要があります。

深めるのを促進するのは、意思というより、どちらかというと

ひらめきや偶然など自然の力のようなので、

それができるように環境を整えるのに力を注ぎます。

それを逆にして、必死に力を入れて深めようとするものの、

環境を整えることに力を注がなかった場合は、

周囲も雑多になり、頭の中に絡まった糸がたくさん発生します。

暗闇の中の静寂と孤独感を恐れたり、「底抜け」の前に地上に引き返してくれば、

やり終えていない感じが消えずによく眠れなかったり、

深くまで潜っては地上に戻る繰り返しで消耗し、他の事にも調子が出なくなります。

底に近づいた時にはそれに気づくようにし、体力、集中力、精神的に、

一番の踏ん張りどころだと、地道にやり遂げるよう予定を組んでいきます。

 そうして「底抜け」をすると、あとは自然に体が動いていくので、

体を動かすことに怠けず、動く用意を整え、

感じたことを否定せず、

見つけたものや直観を逃さないよう感覚を研ぎ澄ますようにします。

 

 

 ≪本質の一枚絵≫を見つけて、何が変わったのでしょうか。

それは、深めきれないから動けなかったという大まかな理解に留まらず、

細かな順序が自分の中にあることを知り、

何が意思で工夫できることで、

何が≪自分の本質≫に任せていいことなのかが見えてきたことにあるように思います。

だから≪本質の一枚絵≫を知ることは、

内なる羅針盤がどうしたら楽に動くかに気づき、

いろいろな選択に活かせることにあるように思います。

「その<人>らしさは、そのやり方や行動に現れる」

と最近よく聞くのも、ここに関連しているように感じます。

 

 

 

4.外界、世界をよりよく変えるには、≪自分の本質≫を生きることが出発点


 

 ≪あなたの本質≫に気づき、それを本当に生き始めることは、

内なる羅針盤を感じながら、≪あなたのやり方≫を核にして続けていくことではないかと思います。

そうすることで、≪あなたの本質≫とつながる範囲が徐々に広がるような感覚があります。

≪本質の一枚絵≫を手にしたときは、実際にどう≪自分の本質≫を使っていいかよくわかりませんでした。

しかしひとまずそれを感覚として覚えておくと、

それを生きるためのヒントが見つかるようになってきます。

まず私が見つけたヒントは、すぐにとりかかれる工夫、

つまりどんなものを選んで使うのか、どんな環境が必要なのかということに関するものでした。

このときに、あるテーマについて沈んでいくときに、

それまでのように一箇所に座って考える必要はなく、

不要な力を加えなければ、

沈む間に他のテーマと重ねあわせて動きながら考えると、そのテーマにとってもよいことに気づき、

やり方に広がりが出てきたのです。

 こうしたことは仕事術や生活の方法として、いろいろなところにヒントとしてあるものです。

問題は、それらを自分のやり方として集め、整理するための基準となる磁石がなかったことなのです。

 

  • ≪自分の本質≫を知ることは、≪他の人の本質≫に気づくことにつながる

 

 

  こうして少しずつ≪自分の本質≫の使い方がわかってきて、

<私>を動かしてきた一人の人格のように客観的に見え、敬意にも似た感覚を持ち始めると、

≪他の人の本質≫はどんなものなのだろう、

その人にも周りにも活かされているのだろうか、と考え始めるようになりました。

≪自分の本質≫を見つけるワークの際に、

≪他の方の本質≫を見せていただく機会がありましたが、

自分ではおそらく絶対に持ち得ない≪本質≫を他の方は持っているのだと気づき、

この世界には多様な力が現れ、活かされようとしているのかもしれないとふと感じました。

≪自分の本質≫を生きるということは、

それだけでいろいろなことを解決する可能性をもっているように思います。

例えばこういうことが考えられます。

・自分がもっていない≪本質≫を他の人がもっていても、

 うらやんだり、奪い合って傷つけあったりせずにいられるかもしれないこと

・お互いから学びあい、誰もが社会に貢献するものをもっているという視点が生まれること

・≪あなたの本質≫を生きる姿は、それだけで周りの人に伝わり影響を与えること

植物が生態の条件が違っていても、そのままで根づき続け、

木が山野草に日陰を提供したり、

地中で多様な根っこが土壌環境を整えて助け合うように、

≪あなたの本質≫を生きることは、

多様な豊さがあって、発見と気づきの多い世界をつくる出発点なのではないかと思うようになりました。

かつてチームの力を引き出すために、「仕事は、朝型か夜型か」、「指摘されるときははっきり言われた方がいいか、気づかせてほしいか」など

いくつかの質問 をお互いにするという場面を見たことがありますが、

チームとして豊かに動いていくためには、

一人ひとりが≪本質≫に気づいたうえで、それを共有していく必要があると思いました。

本当の意味で人を活かすとは、≪本質≫を自分も知り、

他者とも共有できたときに本当の意味で起こるものなのではないか、

≪自分の本質≫を理解することは、 ≪他の人の本質≫を理解するための繊細な目を育てることにつながり、

≪本質≫の多様さを見る目を多くの人の中に育てることなのではないかと思っています。

 

 

  • ≪あなたの本質≫を実際に使えるとき、自分を信じられる

 

 

  ≪本質の一枚絵≫を手にしてから初めて、

人の前に立つという私にとっての数少ない大舞台が現実に起こりました。

そのときは立ちたくて自ら人前に立ったのではなく、周りの人の力で立たせてもらったという状況で、

≪本質の一枚絵≫とぴったり重なる状況でした。

すでに「海の底の宝物」を見つけていたので、

あとは「私の言葉は重くて、場から浮いてしまうだろう」という恐れを越えて、

それを伝えるだけです。

人前に立ったとき、≪本質の一枚絵≫を思い出し、話す間も丁寧に沈み続けるよう

内なる羅針盤が動いていました。

空回りしているように感じた反省点もあるのですが、あとから聞けば、

そのとき一番伝えたかった宝物、

「一人ひとりの≪本質≫を見つけ、それをこの場に活か してほしい」という、

まさに今このエッセイに書いていることを、少ない言葉数でも伝えられていたことを知り、とてもうれしくなったのを覚えています。

これまでのように≪自分の本質≫をはずかしがったり、

「人と“同じ”ようになじむこと求めて、“自分の言葉”を捨てなくてよかったんだ」、

自信が足りない と言われても、何を根拠に自信を持っていいのかわからなかったのが、

「≪自分の本質≫を信じることが、自信をもつということなのかもしれない」と教えても らった忘れられない出来事です。

 こうした一連の出来事があるので、

私は世界をよりよくする出発点は、≪自分の本質≫を知ることだと感じるのです。

 

 

それを考えるとき、アーノルド・ミンデルの著書からこの言葉を思い出します。

 

自分のエッセンスを発見する

 あなたのスタイル(たとえば家族やコミュニティを創り出したいなど)の本質やエッセンスは、
あなたが何者であるかというドリーミングの根源にある。

ファシリテーターとしてのあなた特有のスタイルのエッセンスは、
あなたが世界に何を与え、何をもたらすかを示している。

参加者たちは、あなたの言葉を忘れることはあっても、
あなたのエネルギーのエッセンスを忘れることはないだろう。

あなたのエッセンスは最終的に人々に伝わる何かであり、
あなたがどのような方法を学んできたかと関係なく作用する。

ワールドワークは学ぶことができる。
また、オープンフォーラムの実施の仕方も学ぶことができる。
しかし、あなたが自分自身の個人的なスタイルのエッセンスを通じて、
あるいはそのエッセンスと共にそれらを行うときに、
もっともうまくいくのである。

だから、毎回集まりの後に、自分自身に自分のスタイルについて問い、
そのスタイルや核や根源を見いだすこと。
そのエッセンスを変えてしまうのではなく、
それにアウェアネスを持って同一化して、意識的に生きること。

 

アーノルド・ミンデル (2013). ディープ・デモクラシー 〈葛藤解決〉への実践的ステップ 春秋社



 

 

 

5.最後に




 輝いている人を見ると、目が離せなくなり、自分の中の何かが影響を受けるのを感じてきました。

私もああなりたい、強く憧れて、どうしたらそうなれるかを考えるものの、

やがてその人と私は違う人間なのだと気づくのです。

私のできることをもって、私のできることをしていくしかない。

きっと彼らもそうやって自分の物語を紡ぎだしたから、今の輝きがあるのだろう。

その出発点は何だろう?

それは、

「あなたは、だれ?」

「≪あなたの本質≫は何?」

という問いにあるのではないかと思うのです。

 
思えば私の本質は、

ずっと以前から私と共にあったようだと書きながら気づきました。

日常の中に「あなたは、だれ?」と突如私に問いかけてきたあの本を読んだ夏休み、

私は本をかかえたまま眠りについていましたが、それこそが

その問いに沈んでいく私本来の行動だったのではないか、と。

そのとき、不毛だと思った夏休みのあの時間が、

私にとって必要でかけがえのない時間だったとわかるのです。




 長年、暗闇に仰向けに落ちる夢を見て、それが体感を伴うものだったこともあり、

夜中に目を覚ますことがたびたびありました。

それが≪本質の一枚絵≫にたどりつく、決定的な入り口となりました。

 

≪あなたの本質≫はどんなものですか?

 

あなたはどんな人ですか?

 

それを知ることは、多くの可能性を秘めた入り口だと感じています。

 

≪あなたの本質≫をみつけることで、

共にかけがえのない<存在>として、

家族や友人、仕事仲間、

地域や国、文化や信条の間で、

呼応し合い、化学反応を起こせることを願っています。

 

 

 

                           2013年6月23日 村本菜穂子